野田秀樹と柳家三三が教える「生きた言葉」。
(2020年3月6日)

カテゴリ:世の中いろいろ

予定がどんどん空いている。と言っても、仕事はミーティングがオンラインになったくらいで変化なく、コンサートや芝居が休演になっているので、時間が空くのだ。まあ、馴染の店に順繰りに顔を出して食事したりしている。

この公演中止は、関わっている人のことを思うといたたまれないんだけど、賛否を言えるかというと、感染症の知識がないだけに難しい。確率的に考えれば、規模が大きい方がよくないことくらいわかるけど、ライブハウスと芝居では接触や観客の発声とか全く異なる。

クラシックコンサートなら咳をするのも憚られる。歌舞伎だったら「音羽屋!」みたいな「大向こう自粛」とかしたら?下手な落語家なら笑えないからやってもいいけど名人はダメでしょ、などと話しているうちにあらかたなくなってしまった。
そんな中で野田秀樹氏が「意見書」を出した。読んだ人も多いと思うけれど、僕は「間違ってないけど、なんか違和感があると思った。とくにこの辺り。

(引用)演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。(引用ここまで)

まあ、そうだと思う。スポーツを下に見てると思う人もいるかもしれないけど、まあ「自分が一番」と思ってなけりゃこういう仕事はできないし、まあいいか。でも、やはり何かが引っかかっていた。

で、昨日3月13日に行く予定だった、柳家三三の落語独演会が中止になってしまった。そして、彼のホームページにはこんなメッセージがあった。

(引用)3月13日の「月例 三三独演」はコロナのせいで、開催断念、中止いたします。

やるかやめるか皆んなですごく悩みました。大勢が集まることで感染リスクが高まる催しを行う決断が僕にはできませんでした。

ごめんなさい。

でも指をくわえてやめるだけでなく、慣れないことだけど同日同時刻に落語をやって、YouTubeでご覧いただくことにしました。

しかもどなたでも視聴可能。だってぼくも落語をしゃべることに飢えてますから。

もろもろ詳細はこの後あらためてご案内させていただきます

この形がベストとは思いません。でも今できる精一杯です。1日も早く会場で会える日が来ますように!令和2年3月5日 柳家三三(引用ここまで)

そういうことか。「演劇の死」と観念を振り回すのは、さほど難しいことではない。でも、三三の言葉には観客への想いと、落語を愛する気持ちが溢れていて、しかもYouTubeで誰にも見られる「会」にする!

生の落語と配信は、同じではない。そんなの誰にでもわかる。でも三三は考え抜いて「代替案」を実行する。2つの文章のどこが違うのか?

それは一言でいえば当事者意識だろう。批判も意見も誰でも言えるけど、それでウィルスはなくならない。でも、すべてに開放された三三の芸を見れば、きっとストレスは低減される。だったらいわゆる「免疫力」が上がるかもしれないくらいの期待もあって、それだけでも三三は誰かを幸せにするだろうな。
この2人の言葉を比べた時、「生きた言葉」の意味が初めて分かった気がする。