この本、何がユニークかと言うと「現役の大学学部生による共著」ということで、著者は一橋大学商学部松井ゼミ15期生、で「松井剛編」となっている。松井さんとはとある縁があり、この本もご恵送いただいた。
サブタイトルが「若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎをするのか?」となっていて、「なぜハロウィンか?」という問いと、「なぜ渋谷だけで?」という問いが立てられ、渋谷はもちろん、池袋、川崎と体当たりで取材をしつつ、複層的に解を探している。だから「祝祭論」でもあり「都市論」にもなりそうだが、彼らの専攻はマーケティングの消費者行動論なので、分析のフレームは、その視点で徹底されている。
徹底した現場主義の一方で、準拠集団、アーリーアダプター、アジェンダ設定などのテクニカルタームが飛び交い、ある意味消費者行動論を学びたい初学者にとってはいいテキストにもなるんじゃないかとも思う。
というわけで、「学部生が、よくこれだけ頑張ったな」と思いつつ読んでいて、ふと気づいた。実はこの本は「ハロウィンで騒ぐ若者」を分析しているようでいて、「いまの大学生」のリアルを映し出しているのではないか?
つまり、この本を読んだ人は「騒ぐ若者」を知るだけではなく、「それを冷静に見ている若者」を知ることになる。文化人類学研究の観察記を読んでいるうちに、異文化を知るだけではなく、その観察者の旅行記を読んでいるのと同じようなものなんだろう。
すると、この本は全く別の視点で「今の日本を浮き彫りにする」という、「意図せざる効果」を生み出しているんじゃないだろうか。
サブタイトルでもわかるように、著者の学生たちは「渋谷で馬鹿騒ぎする若者」の心理がわからなかった。だから、問いを立てた。ただ、それは大人たちが「今の若いものは」という問いではなく、「同世代の若者」のことがわからないからこそ、そういう問いになったのだろう。
それは、いまの日本の若者たち、というか日本全体がいくつかの集団に分かれていて、その集団がお互いに「分立」しつつ交わることが少ない、という現実を反映しているように思うのだ。
最近の大学進学率は、50%台後半で推移している。僕が学生の頃は30%台だったから随分上がってきたれど、圧倒的多数というわけではない。しかし、メディアが論じる「若者」は大学生が多く、就職率だって大卒のニュースが多いけれど、高卒や高専卒などについては少ない。
大学進学をしないで、いろいろな地方の地元で働いている若者が「なんかハロウィンに渋谷で騒ぐのも楽しそうだから行ってみようか?」という感覚は、ちょっと想像がつきにくいのだろう。
いろいろと分析をしつつも、「渋谷で騒ぐ若者」の動機については、「インサイト」という言葉で語られつつも、どこか共感しきれていないように感じる。地元社会で日々「終わりなき日常」を生きてる同世代が、「ハロウィンだし行ってみようか」という感覚は、ここで論じられているよりも、軽くて自然なノリなんじゃないか。
そんな風に見てみると、この一冊はいまの日本における若者文化の「分立と複層」を浮き彫りしていて、思わぬ発見があると思った。
ただ、僕はここで「分断」ということらさらに煽るような言い方をするつもりでもないし、彼らの真摯な取り組みは、むしろこれからの社会に新たな希望を感じさせてくれる。ああ、年寄りくさいまとめで申し訳ない。でも、大学生たちがありがちな「起業コンテスト」じゃなくて、「学びの現在」を発信した彼らの功績は本当に大きいと思う。
あ、少なくても「ミスコン」ですったもんだしている場合じゃないだろ、ホントに。