最近大学で中国からの留学生とみっちり話す機会があるんだけど、ちょっと困ったことがある。
カタカナだ。
もちろん彼らは日本語をしっかり学んでいる。しかし、外来語の場合、元の発音とかけ離れていることも多く、かえって理解の妨げになったり、遠回りになることも多い。
tomatoがトマトで、pastaがパスタだったりするのは、「そういうもの」として覚えるし、smart phoneが「スマホ」でも、それはそれで1つの「日本語」ということでどうにかなる。「パソコン」もそう。
でも、「カスタマー・エクスペリエンス」とかになると、困る。experienceという英語を知っているのだが、それは「エクスペリエンス」という音で認識されてるわけではない。
そうなると、英語のexperienceはカタカナで「エクスペリエンス」であり、日本語は「経験」です、ということになるんだけど、何か伝えるのに手間がかかり、すごく不合理な気がする。
だから、こういう時は「顧客体験」と言って、英語を脇に書いてあげる方が話が早い。
ただ、「クラウド・コンピューティング」となると、該当する日本語もない上に、カタカナで「クラウド」というのは、cloudかcrowdか両方ともあるわけで、コンピューティングなら前者で、ファンディングなら後者になる。
もう最初から英語で書いてあげた方が、中国人には話が早いのだ。
カタカナというのは、おもに外来語表記にあてられるわけで、もちろん便利な面はある。ただ、そのカタカナ言葉というのは不完全なもので、そのまま発音しても通じないし、むしろ英語などを学ぶ際にマイナスになるよなあ、とは感じてる人も多いと思う。
ただ、これだけ色んな国の人とコミュニケーションすることが多くなり、日本語中心の環境で暮らす海外出身の人が増えると、もう一から見直した方がいいのかも。
カタカナのもたらす妙な作用は他にもあって、それは4年前に日本が頑張ったラグビーワルドカップの時に感じた。普段ラグビーを見ない人は、日本代表に海外出身の選手が多いことに驚いたり、時には違和感を感じたという人の声も聞いた。
ただ、日本のメディアで見た時と、英語の放送やサイトで見た時は相当印象が異なることに気づいた。アルファベットだけの表記だと、まあ出身国がどのあたりかは何となくわかるが、明らかに「違います」という感じはしない。
ところが、日本語だと「カタカナの選手」ということで、あまりにもわかりやすく記号化されちゃうのだ。
カタカナというのは、「内と外」を区別してしまう作用があるわけで、カタカナに罪はないけれど、何かモヤモヤすることがすごく増えてきた。というか、「なんか変だけど便利だし」という感じで使われてるとすれば、これは使う側の「未必の故意」のような気もして、やっぱりある種の罪ではないか。
できることとしては、まず英語で新しい言葉が入ってきたら、まずはメディアが英語で書いた方がいいだろう。少なくてもカナと併記するとか。そうなると、縦書きということ自体が問題になるんだろうな。
いま僕は新聞を電子版で読んでるので英語併記も読みやすいけど、、今後はビジネス書なども横書きにした方がいいんじゃないか?とかカタカナのことを考えると、これは日本人の思考の話にまで広がっていくように思う。
しかし、2種類の表音文字って、当たり前のように使っているけど、海外の人は学ぶの大変だろうなあ。しかも「ドラえもん」みたいな落とし穴もあるし。