そういえば、ちょっと前に「デザイン思考」が話題になった頃、広告代理店の社員の一部には「何を今さら」という感じがあって、そういう名前ではないけれど、フツーにそういう思考をしていたという感覚はたしかにわかる。
ただし広告づくりの範疇を超えて、その思考でビジネスのアップデートできたのか?というと少々「ビミョー」な感じもした。
が、その話はさておいて、そうした思考法の「次の段階」を上手にまとめたなあと思ったのが『直感と論理をつなぐ思考法』だ。この本では、「デザイン思考の平原」にはクリエータなどの“先住民”がいるという表現で、「ビジョン思考」へと先導を試みている。
で、この本の批評をするのが目的ではないんだけど、おもしろいなと思ったことが「妄想」を思考の起点にしていることだった。創造じゃなくて、妄想。
でも、その妄想が許されない企業が本当に多い。これだけ日本の伝統的企業の問題点が指摘されていても、その根本は変わっていない。数多くの改革者と言われる経営者も登場して、もちろん変革は進んでいるけれど、「やっぱダメだったか」ということも、最近になってまた実感してたりする。
そもそもこうして迂闊に「やっぽり」を連発してしまう時点で、どこか自分まで後ろ向きになってしまうことに気づくのだ。
じゃあ、どうすればいいのか?トップの強力なリーダーシップはたしかにプラスに働く。別に妄想という言葉を使わなくても、自由な思考を促す経営者はたくさんいて、ところがそこには思わぬ障壁がある。
それは、社内にいる無数のスペシャリストなんじゃないかと思っている。
以前は「ジェネラリストかスペシャリストか」という話題もあったけど、最近はあまり聞かない。そういう枠を超えて「プロフェショナル」を目指すべきだ、という話に何となく落ち着いている。
けれども、真のプロフェッショナルは少なく、結局は勘違いしたスペシャリストが増えてしまったんじゃないか。
この違いをとある方が明快に分析していて、それは「未知の領域の難度の高い課題に挑戦する」時の態度にあらわれるという。
スペシャリストは「それがいかに困難か」という理由を、すぐにズラリと並べられる。
研究開発からマーケティング、そして営業に至るまでみんな冷静に反対理由を述べる。そこに経理やら人事のコーポレイト部門が法や規制を引いて、さらにリスクを並べる。
そして、何もなかったかのように、挑戦する話は消えていき、あるいは玉虫色というじか、骨抜きの経営計画になっていく。もう、なんか「目黒のさんま」を笑えない状況になっちゃうわけで。
「できない理由」を並べるスペシャリストに対して、「どうにかするために突破口」を考えて行動するのがプロフェッショナル、とその方は言っていたがよくわかる。
「え?」と驚くようなことをする会社には、そうしたプロの請負人がいて、妄想をカタチにしているのだ。
まず、妄想が許されなければ、思考も何も生まれないだろう。その時に足元にまつわりつくような無数の「自称スペシャリスト」がとっても厄介な存在になっちゃったんじゃないかと思うんだけど。
あ、だからといって「妄想のスペシャリスト」養成しましょう、って話ではないんで、念のため。