テレビの視聴時間が「年代に比例して上がる」のはもう常識で、若い世代が見ないのは「ネットがあり、スマホがあるから」というのも当たり前の話になっている。
で、改めて考えてみようと思って青山学院大学の講義で、学生に聞いてみた。
少人数の講座なので、4~5名で6つのグループに分かれて「なぜ自分たちはテレビを見ないのか」というテーマで議論してもらった。
「いくつか理由を列挙した上で、最大の理由をグループで1つ選ぶ」という指示にした。「もっとも大きな理由」が気になったのだ。
「いや、私は見ます」という人もいないので、議論はスムーズだったんだけど、結果は意外だった。
6グループのうち、5グループが「家にいないから」を最大の理由に挙げたのだ。あと1グループは「コンテンツがつまらないから」だ。僕は「コンテンツ」が最大の理由だと何となく思い込んでいたのである。
サンプルは少ないかもしれないけど、この結果は結構本質を捉えているようにも思う。というのも、「複数理由を挙げて議論している」からだ。そして、どのグループも「家にいない」vs.「コンテンツがつまらない」決勝戦になり、「やっぱそもそも家にいないからね~」となるのだ。
ちなみに、スマートフォンなどでテレビを見るアプリを入れたりとか、そういう意欲はないようだ。そこまで見たい感じでもない。
で、「テレビの危機」というのはよく言われるけど、実は3つくらいの側面があることに気づく。
① 既存の地上波テレビが見られなくなっているということ
② 自宅でテレビ受像機の前でテレビを見る習慣がなくなっていること
③ 2次元動画が飽きられているということ
まあ、いろんな意味で「動画」は健在なので③はまだないだろうし、①は既に数字に表れている。ただ、今回の話をもとにすると、「面白いものをつくればいい」ということで、テレビは復活しないだろう。
さらに議論していくとわかるのだけど、家にテレビがない学生も2人いて、一人暮らしではなく親と同居だったりする。こういう場合、もちろん新聞はとってない。そして、スマートフォンは「自宅からの解放」をもたらした。テレビ離れは「自宅離れ」でもあるのだ。
また、もし「1人暮らしをする」と仮定しても、テレビは最低限の大きさか、そもそもいらないという人も多く、4Kや8Kどころではない。
若い人のテレビ離れは「テレビ受像機離れ」なのだ。ただ、「ラジオ受信機」を持っている人はいないが、「スマートフォンでラジオを聞く」人はいる。そうなると「スマートフォン経由」という接点はとても大事であり、それを持たないテレビ局は、いつまで経っても若い世代にはリーチできないだろう。
というようなことを考えると、先般決算で話題になったAbemaTVや、それをめぐる電通や博報堂の動きもなんとなく納得感はある。
メディア接触は習慣に支えらるし、室内の場所取りも時代によって変わる。いちばん問題なのは「テレビジョンの居場所」なのかもしれない。
※テレビ「放送」の役割がそろそろ終わりかけてるんだな、と思うのはそもそもの由来を思い起こすとわかることもある。有馬哲夫氏のメディア論はどれも歴史に根ざしていることで、未来が見えてくると思う。