昨日、NHKスペシャル取材班『健康格差』の中に書かれていた「自己責任論」の話について気になったことを書いた。
「格差拡大で“自己責任論”が強まったけれど、そもそも日本人は助け合ってきたのではないか」
このことについて、最近感じていることを書いておきたいと思う。
イソップの「アリとキリギリス」という寓話がある。これは、「自己責任論」の典型だろう。いまの子どもに対してどのように教えているかは知らないが、僕なんかは「キリギリスになってはいけない」という話で聞かされてと思う。
なんか、辛気臭い話で好きではないけれど「努力すれば報われるし、そうしない人はダメ」というフレームは今でもそうだろう。勉強からスポーツまで、努力は肯定的に扱われている。
このような発想が日本人に定着したきっかけとして挙げられるのが、サミュエル・スマイルズの「自助論」という本だ。この本自体は未読の人でも、「天は自ら助くるものを助く」というフレーズは聞いたことがあるのではないか。
いまは「自助論」というタイトルで複数の訳が出ているが、もともとは「西国立志編」というタイトルで明治4年に出版されてベストセラーになった。西洋の成功者の物語を描いた話だが、これは時の風潮に乗った。
やれば、できる。今でも当たり前のように語られるこのフレーズも原形を探ればこの辺りに行きつくだろう。
儒教的な倫理道徳に、西洋的な自助思想が乗れば「ちゃんとしてない人」への眼は厳しい。これは昔からの価値観としてあったはずだ。
ただし、戦後の高度成長期は社会と個人に余裕があった。多くの人が医療や年金の制度の恩恵を受けられれば、多少のフリーライダーは気にしなかったのだろう。
それが経済の停滞で余裕を失ったことで、自助の発想がいきなり突出したように錯覚したのではないだろうか。
まず、日本人は「助けあう人々」なのか?という点については、否定的な調査分析が出ている。これは、山岸俊男氏の『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』で詳細に分析されている。
日本の「向こう三軒両隣」というのは、助け合いの発想を示しているのではない。それは相互監視社会において「みんなと同じ」に振る舞うのが得、というだけだ。それが「安心」なのであり、決して「信頼」しあっているわけではないという。
この本は、社会心理学の調査データにおける日米比較などを通じて、日本人の社会行動を見事に明らかにしている。
こうした長い歴史を考えると、「自己責任論」の否定は「努力の否定」になり、多くの人は受け入れないだろう。それは、「自己責任vs.助け合い」といういわば「モラル対決」に話を進めているからだと思う。
一方で、山岸俊男氏は先の本で「武士道より商人道」と述べられている。そう考えれば「自己責任だけでは得しない」という理解を広めるべきだ。
NHKがまとめた『健康格差』でもそのような発想は書かれているのだが、精神論が入って来るので結局よくわからないことになる。
「努力してもできないことはあるし、“やればできる”は嘘」
僕は若い人にはいつもそう言っていた。そういう気づきはどこかで知った方がいいと思う。一方で、幼少期には努力の価値を知ったほうがいいだろう。
とはいえ、自己責任論の根は「自助努力」にあるのだから、安易な批判は反発を招く。その構造を深堀しなければ、健康を含めた格差問題は解決しない。
少なくても、「最近は自己責任論でギスギスしてる」と言ってるうちは、何も前に進まないと思うのだ。