ふと思い立って春の連休に『戦争と平和』を読もうと思い立った。なぜそう思ったのかわからないのだが、読み始めたのは結局5月4日だった。
若い頃に躓いているのだが、どこで躓いたいのかもわからない。ほとんど、初読のようなものだ。
当然「連休に読む」などということ自体が無理な話で、読み終わったのは7月15日だった。
kindleで読んだのだが、文庫だと一巻あたり500ページ以上あって、全部で3000ページくらいなんじゃないか。『戦争と平和』以外にも30 冊ほど読んでいたので、2ヵ月ちょっとで読めたのは上出来な方かもしれない。
読み終わってみると、思ったよりも面白かった。子どものような感想だが、まずはそう感じる。そして、子どものような感想の続きを少々。
まず、タイトルをわかりやすく書き換えると『戦争と宴会』かもしれない。この小説は、ナポレオン戦争時のロシア社会を描いているが、出てくる人のほとんどは貴族だ。
そして、戦争シーン以外は貴族の日常であり、そのほとんどは宴会のような感じだ。あとは狩猟とかオペラとか。まあ、宴会というほどじゃなくても、家の中でメシを食いながらああでもないこうでもないと話してる。
ワインを飲むシーンもよくあるが「ドライマディラ」や「ラインワイン」に「ハンガリアン」とかも出てくる。さすがに、ナパバレーとかは出てこないけれど、よく飲んでいる。
一方で、戦争のシーンは想像以上の活劇で、一度読むと結構止まらなくなる。サスペンス小説の名作だとそうなることもあるが、『戦争と平和』も結構そんな感じだ。
そして、この時代だからこそ「戦争」との距離感が近い。貴族の男性も戦場に赴き、それが当然ドラマになる。20世紀以降は物量戦になるし、もっと前なら限られた人しか戦場に出ない。
大規模戦争とはいえ、ナポレオンやアレクサンドル皇帝が戦場のあたりをうろついているような感じの描写もある。つまり「戦争と平和」を対比的に描くには、あの時代しかないのだと思う。
というわけで、あの長大な小説の話を書こうとすればキリがないのだけれど、もし関心があれば取り組んでみることをお薦めする。
というのも、登場人物の貴族たちの置かれている状況は、日本を含めた先進国の「普通の人々」とどこか重なる部分があるからだ。「このままじゃ、なんとなくまずいんじゃないか」そんな気がしているのに、大きな歴史の波の前で足がすくんでいる。
そして、場合によっては波間に消えていくかもしれない。
そんな環境の中で、生き続けていこうとする姿が、響いてくるのだ。
今回読んだのは岩波文庫の新訳だが、コラムの解説や地図なども含めて丁寧に仕上げられている。僕はkindleで文字を大きめにして、何行かまとめてザクザクと食べるようにして読んだ。
kindleはロシア文学を読むには、結構向いているんじゃないか。普通に文庫本だったら読破できたかは自信がない。
このあたりの好みはそれぞれだろうが、軽さも相まって古典の長編とkindleの相性はいいと思っている。
ちょっと気が早いけれど、夏休みの「大人の課題読書」としてはうってつけなんじゃないのかな。この本は読んでかつストーリーを覚えている人が少ないので、読み終わった人とぜひ語り合ってみたいし。
追記:アマゾンのレビューで翻訳を批判する人がいるが、これは殆どの新訳において起きている。そして、文面から見るに、当然旧訳を読んでいる方が多いようで「若い人にも」など書いているから高齢者もいるのだろう。また本によっては、単なる難癖のようなことが書かれていることも多い。ただし、新訳は当然のことながら過去の研究や推敲をした上で訳されている。ことに読みやすさについては練られており、旧訳と異なるのは当然だ。訳やレイアウトが海外古典のハードルを高くしている面もあると思うので、「新訳+kindle」を個人的には好んでいる。