それは、暮れも押し詰まった12月27日。その日は、友人たちと中山競馬場にいた。
有馬記念の一番人気はトウカイテイオーで、いま調べると2.4倍だ。そして、ライスシャワーの4.9倍と続いていた。
競馬場は大混雑。たしか13万という入場者数アナウンスだと思ったが、府中にはそれ以上の客がいたという。そんなこともあったんだ。
もうなんだか大興奮の中で出走して、メジロパーマーが端を切る。それは大方の予想通りだったが、4コーナーを回ってまだ一番手。この辺りからなんだか異様な雰囲気が漂う。
これが現在のキタサンブラックであれば大歓声だが、そうはいかない。何と言っても15番人気で単勝49倍の馬が「やばいこと」を成し遂げそうな状態なのだ。
そして、メジロパーマーは逃げ切った。そして相当の末脚で追い込んだレガシーワルドががハナ差で2着。
歓声ではなく、行き場のないどよめき。トウカイテイオーはまさに「馬群に沈む」11着だ。そのうち、観客席の背後から若い男性の悲鳴が聞こえた。
「こんなの嫌だ~」
そうだ、みんな嫌だよ。それは大多数が馬券を外したとかそういう話ではない。これは「見たかった有馬記念」ではなかった。でも、往々にして競馬にはそういうことがあり、だからこそ競馬だ。
そして、東中山までの道をトボトボと帰る。「立小便禁止」の看板を見て「今日だったら野糞するやつもいるだろ」とか友達と話していた。
で、なんでこんなことを思い出したかというと、フランスの大統領選が終わった後にデモが起きたという話だ。1回目の後は一部が暴徒と化し警官が負傷したという。そしてマクロン勝利の後も「反対デモ」らしい。
そういえばトランプ勝利の後も「反対デモ」があったけど、ひとことで言えば、「こんなの嫌だ」デモとでも言うのだろうか。でも、「政策に反対」のデモはともかく、選挙結果とは「反対」という対象なのか。それは選挙、つまり民主主義の原理に反対してしまっているのか。
もちろん米国大統領選の「勝者総取り」システムは、今回のように落選者の方が投票総数で上回ることもある。しかし、このシステムも合衆国の建国理念に基づくものだ。そして、フランスの決選投票は「ガチ」だから、これが嫌となったらもう選挙を基盤としたは成り立たなくなる。
しかし、「こんなの嫌だ」デモは、戦略的にあまりよくないと思う。なぜなら彼らはこの時点で「少数派」であり、「より味方を増やす」ことが目的だからだ。とにかく「嫌だ」と言っていればコアな仲間は集まるだろうが、中間派はどう見るか?
少数派が仲間を増やすには「こっちの方がいいよ」と感じさせることが大事で、勝者である対抗勢力を貶めることではない。
それは、市場におけるシェア争いの歴史を見ればわかる。トップへの対抗心をむき出しにすれば、一時の支持は集まるがコア層から外への波及は弱い。この辺りのマーケティング的発想は、これから日本の少数派にも求められると思うけど、このままだと「こんなの嫌だ」でとどまるのではないか。
それは競馬場だけで十分だと思うよ。
※「こんなの嫌だ」デモが具体的な代案を持っているわけではないように見えるが、一方で多数決システム自体への疑問は生まれている。もし選挙結果に不満があるのなら、そのあたりをきちんと論じる必要があるだろうし、その議論も盛んになりつつある。そこに言及するのは別の話として、この辺りの本はわかりやすい。ただし現状の選挙制度でも政権交代は実現可能なのだから、それを前提にした戦略をまず確立することが先だとは思うが。