とはいえ学芸員が「聖域」になったら、それはまた違うと思う。
(2017年4月17日)

カテゴリ:世の中いろいろ
タグ:

「学芸員はがん」と言った大臣が、発言を撤回した。

これは、二重の意味で残念だと思う。一つは明らかな罵り言葉で失言したこと、もう一つは美術館や博物館をめぐる議論の機会が失われかねないことだ。

芸術などの世界では先導者の役割が大切だ。たとえば、いまの日本美術への関心が高まったことの一つには、『奇想の系譜』などで知られる辻惟雄氏の存在が大きい。

学芸員という存在はあまり知られていなかったかもしれないが、最近は表舞台に出ることもあるし、その力量が施設や展覧会を左右する。英語ではcurator、一部の方の大好きな「キュレーション」というのはこの辺りが語義になる。

昨年の大みそかにNHK教育テレビ、どうもEテレとか言いたくないけど、そこで「ゆく美くる美」という企画があった。日曜美術館の特別版みたいなもので、美術シーンを回顧して展望する。何名かの学芸員の方が登場していて、その見識や発想がさすがだなと思った。

で、観光との兼ね合いからああいうことを言ったようだが、たしかに優れた企画は人を動かす。僕は今年になってから、熱海のMOAのリニューアルを見たくてわざわざ行ったし、茨城の方で人に会う用事は水戸の展覧会に合わせた。唐招提寺の障壁画が見たかったのだが、遠方からも来ていたようだ。

また府中美術館は近年日本美術でユニークな企画をおこなっているが、多くの著書も書かれている金子信久氏が学芸員を務めている。

また、最近コンサートの前に立ち寄った横浜美術館も面白かった。企画展は篠山紀信の人物写真なのだが、常設展の戦後写真展が作家のポートレイトから始まる。紀信の写真が色あせるほどに、志賀直哉や川端康成ならの存在感が光っていて、この辺りの換骨奪胎ぶりはまさに学芸員のセンスだろう。

そう考えると、優れた学芸員は良質な企画をおこない、結果的に観光客も増える。ただし、これだけ美術館や博物館があれば、企画の質もさまざまだ。

だから、「観光的観点から学芸員の方にも、さらに柔軟な発想を持っていただきたい」とでも言えば、問題提起にはなったんじゃないか。実際には現場の方が進んでいると思うけど。

もっとも、専門家からすると「政治の介入」は嫌かもしれない。しかし、いきなり建前を言うと、そもそも民主政治と言うのは「国民の代表」である政治家が行政の長となることで、官僚の行動をマネジメントすることがひとつの目的だ。

専門家ばかりが行政に関わって、国民から乖離するっていうのはよくあるわけで、美術館や博物館でも例外ではない。そして、どんな世界でも優秀な人とそうでない人はクッキリと存在する。

だから、ああいう失言で議論のきっかけが失われたらそれはそれでよくないだろう。しかし、そこまで言うのだから具体的な理由があったんじゃないか?とも想像する。

多くの美術館や博物館は公費が使われているのだから、開放的な議論をすること自体は大切だったはずで、これをきっかけに学芸員の仕事が聖域扱いされるようになったら、誰にとってもいいことじゃない。

だから、あの発言は「残念」だと思うのだ。