恵方巻が映し出す「プロモーション」の限界。
(2017年2月6日)

カテゴリ:マーケティング
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先週、春風亭昇太の独演会に行った。久しぶりの「オヤジの王国」をいう新作を演じていて、仕事に疲れた父が自宅に帰ってくるシーンがある。

妻は「会合」と称して出かけてしまい、やっと帰ってきた娘はロクに挨拶もしないので父が咎めると、思い切り逆襲される。

「私だってバイト大変なのよ!恵方巻100本売らなきゃいけないんだし!」

会場は大爆笑。あとで昇太が言うには、アドリブネタだったらしいけど、当日のNHKが「恵方巻で悲鳴 過酷な販売ノルマに苦しむ実態」というニュースをやっていたのを拾ったらしい。

まあ、そんな具合に昇太が達者なのはいいんだけど恵方巻も商いとしては限界に来てるんだと思う。そして、それっていわゆる「プロモーション」の限界なんだろうなと思う。

「プロモーション」というと、相当に範囲は広い。ただ、おおざっぱにいうと「気づかせる」段階と、「恒例化」する段階があるだろう。

恵方巻という一部の習慣を、広めようという「気づかせる」段階では、たしかにいい着眼点だった。

まず、これといった「売り物」がない時期だけど、「豆」を買おうという人は多いからコンビニやスーパーには行く。節分は行事としては生きているんだから、そこに「新習慣」を持ち込むのは発想としては十分ある。しかも、海苔巻きだからすでに製造ルートはある。

僕はこの習慣のないエリアで生まれ育ったので、買おうとは思ったことはないけれど、企画自体はよくできていたと思う。

問題は「恒例化」だ。この段階になると、数値目標とかができて結局は「ノルマ」のようになる。しかも、生もので賞味期限が短いから廃棄処分も問題になる。

こうした「恒例化したプロモーション」は、メーカーや流通の惰性のようになっているものも相当多い。そして、人口が減少していき選択肢が増えた世の中で同じようになれば、結局は「ノルマ化」だ。

クリスマスケーキも、母の日の花も同じようになるだろうし、なっているところもあるようだ。一方で、「土用の丑の日」の鰻は、逆の問題になっている。鰻は稚魚が減少しているけれど、一時期に大量に売ろうとすれば歪みがが起きる。

あそこまでスーパーなどで一斉に売るのは、いつごろからだったんだろう。

コンビニなどに期待してるのは、恒例行事の押し付けじゃなくて「気づかせてくれる」ことだ。昨秋に書いたけど、セブンイレブンの和菓子とかは時々オッと思うような商品がある。つまり企画力だ。

恒例化に頼っている会社は、だいたい企画力が落ちていることが多い。あるいは、企画のできない人が、単なる「進軍ラッパ」を吹くから、昔の日本軍のようになっちゃう。

ちなみにノルマというのはロシア語で、その由来を調べると結構怖い。

それに、季節の行事が苦痛になるのはそもそもおかしいと思うよ。