「働き方」の問題は、すべての働く人の問題だ。しかし、今回の事件は「広告業界特有の課題」も浮き彫りにしたと思う。
それは、SNS上などで広告関係者がいろいろな意見を述べたことが大きいだろう。同じことが仮に金融業界で起きたとしても、こうはならなかったと思う。
内容はさまざまだが、メディアや世論が電通を「断罪」することについて「ちょっと待って欲しい」という気持ちのものも目立った。それについては、僕も理解できる部分はある。現状を深く知らないで、「ブラック」と囃し立てる人々を決して賢いとは思わないし、彼らが建設的な議論をしているように感じない。
一方で、「広告にはいろいろそれなりの事情があって」という話も、細かく詰めていくと危うさを感じるところがある。
たとえば、広告会社は“発注される側”で、その内容に無理があれば時間だって大変になる、という声もあった。
それは、実態としてはそういう発注元もあるだろう。しかし、あくまでも「企業対企業」の取引である。しかるべきポジションの人どうしが、なぜ契約をしないのか?SLA(service level agreement)のような発想も必要なのかもしれない。
また、「広告のアイデアは工場の生産とは違う」と言う人もいる。クリエイティブはもちろん、マーケティングのコンセプトメイキングも「よりいいもの」を求めれば、それなりの時間が必要なことはたしかだ。
文字通り寝食を忘れて、企画を考える。中には学生時代から、それが当たり前だった者だっている。そうした人たちは仕事が好きで、細部にこだわり、粘り、いいものを創る人もいる。
敢えて「人もいる」と書いたのは、時間だけかかる人もいるからだ。
いずれにしても、アイデアに悩み企画を考える時には「無限の時間」がほしい。しかし、実際には仕事の締め切りは厳然としてあって、時間は有限だ。だとすれば、「疑似的な無限時間」が欲しくなる。
それは「9時から考えて12時まで」のようなものでは足りない。「とりえあずメシ食って20時からできる限りやってみよう」という発想になりやすい。いきおい仕事は深夜におよび、時には朝を迎える。
こう書くとわかると思うけれど、これって「ダメな受験生」の発想に似ているところがある。もちろんこれで合格する受験生もいるように、いいアイデアを出すプレイヤーもいるが、体力頼りで合理性はあまりない。
そして、ジタバタする割に本当に成果が上がっているのかはちゃんと検証されてない。これが1人ならいいけれど、会社のチームがそういう動きになれば時間管理なんか到底無理だ。
そもそも、夜中まで働いて成果が出るならこんな簡単な仕事はない。いい企画やアイデアは「疑似的な無限時間」によって生まれるのだろうか?
企画力を磨くための短期の合宿研修などは、僕もよく行うことがある。
すべてが終わった後に、殆どの人が「もう少し時間が欲しかった」というので、僕はこう言う。
「だって、仕事には締め切りがあるんだよ」
それでも、納得しない時はさらに言う。
「そうやって、締め切りの先延ばししたらどうなる?あっという間に、人生の締め切りが来ちゃうよ」
こう言うと、大概の人は一瞬ハッとしてから納得するのだった。
なお、今年出た「〆切本」は、単なる作家の言い訳集ではなく、文学史を異なる角度から見つめられるし、まさに「人生の締め切り」についても考えさせてくれる素晴らしい一冊だ。