内田樹氏の知性的な生き方が、味わい深い。
(2016年11月17日)

カテゴリ:世の中いろいろ

ずっと読んでいなかったのだが、たまたま内田樹氏の最近のブログを読んで、感慨深いものがあった。「なぜ安倍政権は勝ち続けるのか?」と題したエントリーだ。

氏によると、現在の状況は「政権末期の徴候」であるのに高い支持率を保持しているのが、疑問のようである。

「日本人が愚鈍になった」という仮説はとりあず棄却されたようで、いろいろと考えていく中で、こうした結論を書かれている。

「日本の指導者を最終的に決めるのはアメリカである」

そして、「ホワイトハウスが『不適格』と判断すれば、政権には就けないし、就けても短命に終わる」と書かれている。氏によると、このことは海外の有識者も指摘しているが、日本のメディアは黙殺しているということだ。

さて。

僕はこのような考え方に対して、あまり「ピン」とこない。というのも、こうした言説自体は決して新しくないからだ。典型的なのは、田中角栄がロッキード事件で逮捕された時の「解釈」じゃないだろうか。

あれはもう40年も前の話だ。詳細は省くが、角栄は米国に嫌われて、「斬られた」という話は幾度となく聞いた。ただ、それは「酒場の与太話」のようなもので、最近も似たようことを話している年寄りの酔客を見た。

「あれは、全部アメリカの陰謀なんだ」という、その姿は酒場の彩りとしては、まあそれなりに味わい深い。

でも、それを大学教授を務め、知識人を自負されている方が書くのは、味わい深いというか、少々濃厚過ぎて、微かな哀しさも感じないではない。

もしかしたら、大学の教壇でもそういう話をするのか、新聞などにもそのような寄稿をされるのか。そうしたら編集者はどうするのだろうか、などといらぬ想像をしてしまう。

そういえば、「反知性主義」を糾弾されたこともあったが、この時に感じたのは「ショッピングモールの床で、駄々をこねて泣きわめく子ども」というイメージだった。

自分の思い通りにならない世の中に向かって、「なんでだよ~」と思い切りアピールする。もちろん駄々をこねる子どもと同じで、一時は人の気を引くことができるだろう。

しかし、今回の文章を読むと、そうした無邪気さではなく、ある種のカルト的な言説に近い味わいがある。以前は、もっと軽妙洒脱なスタイルだったと思うのだけど。

ただ、まったく別の可能性もあって、これは内田氏の壮大な仕掛けなのかもしれない。こうした思い切った解釈をされることで、普段は彼の文章を読まない人も関心を持ち、現政権のあり方を考えるきっかけになる可能性はたしかにある。

そうか、それが本当に知性的な生き方なのだろう。これからも、時折彼の文章を読んでみたいと思う。