日経電子版に「出世ナビ」というコーナーがあって、なぜか懐かしい気持ちになった。
会社員じゃないから、ということもあるけれど、それにしても「出世」という言葉は、死語とは言わないまでも、耳にすることが少ないと思う。
死んでないけど、結構重篤というか、なんというのか、今時じゃない感じもする。
で、ふと気になったけど、この「出世」って英語では何というのか。
調べていくと、1つはpromotionだ。ただ、これは組織内の「昇進」にあたる言葉だろう。地位が上がるのはたしかに出世だけど、ちょっと物足りない気もする。
そして、もう一つはsuccessになる。ただ、英和でsuccessを引けば、もちろん「成功」がまず書かれていて”make a success in one’s life”や”succeed in life”が「出世する」となる。(プログレッシブ英和辞典)
やっぱり、日本語の出世にピタリとくる言葉はないように思う。
この出世という言葉は、もとは仏教用語だ。「俗世間を出て仏門に入ること」という意味があって(岩波国語辞典)、ここから転じたと言われる。そして立身出世というような言葉が出てきて、今の意味につながったのだろう。
立身という言葉を引いても、出世を同義としているので、明治以降に広まったのだと思う。封建時代であれば、身分を超えて立身することはかなわなかったからだ。
そう考えると、出世というのは「自分が成功して、かつ社会に認められる」ということだから、successとpromotionが一体化したようなニュアンスがある。
起業して成功しても出世ではない。単に昇進するのも、ちょっとニュアンスが違う。だから、明治以降の「西洋に追いつけ追い越せ」の価値観の中で生まれた概念で、それが昭和の戦後にもつながったのだろう。
「成功した人」になりたいのか、「出世した人」になりたいのか。これは、相当気持ちの上で違いがある。そして、若い人ほど「出世」には距離を置いているのではないだろうか。
そして、最近感じるのけれど、出世という言葉にはどこか哀しげな響きがあるように思う。「出世」で検索すると、ことごとくハウツーのサイトが出てくる。アマゾンでも同じだ。
そういうサイトを見たり、本を読む前に「その仕事ちゃんとしてる?」と聞きたくなる感じもする。
そもそも、結果的に出世した人がそういう本を読んでいたようには、とても思えない。そして、出世ばかりを気にする人が多い企業より、成功に執着する企業の方が成果をあげるだろう。
そういえば、最近トラブルを起こした大企業について追った記事を読むと、個々の成功よりも「出世欲求」だけが独り歩きしてしまったところが多いように感じる。やっぱり「出世ナビ」より「成功ナビ」の方がいいかと思うんだけど、「出世」に反応する人もまだ結構多いのかな。