もとは拾われた猫で、会社員時代に「社内掲示板」で知り、譲ってもらった。
譲り主の家の近くで親とはぐれてしまい、ミャアミャア啼いているところを拾われたらしい。
親の顔も覚えていない、というか「猫」という動物を殆ど知らぬままに人間と暮らすことになった。真黒な雑種だが、親は何色だったのだろう。
最近はあまりないが、膝の上でまどろんでいるときに僕の着ているトレーナーを噛んだり吸ったりすることがあった。幼少時代を思い出してそういうことをするらしいが、決まって黒い服の時だった。
もしかしたら、母親は黒かったんじゃないかと勝手に想像している。
家に来てから獣医に行って、まあ推定するに7月上旬くらいの生まれではないかという話になった。というわけで、一番わかりやすい7月7日を誕生日と決めた。毎年血液検査をしているが、おかげさまで健康だ。
名前はアリという。家に来た頃は、後足立ちしてパンチを繰り出していた。「色が黒くて、パンチが強い」ということで、連想されるのはあのボクサーだった。彼の現役時代にファンだったわけではないけれど、そういう経緯もあって先刻の訃報には感慨深いものもある。
アリに由来する「キンシャサノキセキ」という馬がいて、出走のたびに馬券を買っていたが、高松宮記念で勝ったのは印象的だ。
猫は10歳を過ぎると、人の言葉を話すという。いわゆる猫又の伝説があるが、たしかにそんな気もする。これは飼ってない人にはバカバカしい話なのだが、かつて会社の先輩が「本当に話すんだよ」と言っていた。
その方は全社を代表するほど理知的な方だったのだが、この時ばかりは「猫又説」を真顔で話したので、驚いた記憶があるのだ。
で、家のアリも相当話すようになった。「何やってんの~」とか「起きようよ~」くらいは、言っている。キーボードの前に陣取ることも多いが、別に仕事を手伝う気はないらしく、「遊ぼう~」と言ってる(と思う)。
そこで、ふと気づいた。猫又というのは、猫が老いたというわけではないんじゃないか。猫を飼って十年もするうちに人間が歳とってしまい、猫の言葉をわかった気になる。
猫から見ると「やっと猫語を話せるようになったか」ということになるのかもしれない。
それにしても長い付き合いだ。そして、猫の平均寿命のデータも僕たちは知ってしまっている。でも、彼女は何も知らない。
そう思ったときだけ、ちょっと寂しくなる時はあるが、不思議と悲しくなることない。
梅雨空の週末、アリは眠そうだ。