4月から日経ビジネスオンライで「ミドル世代のキャリアのY字路」という連載をしている。隔週金曜日で、1週間前の記事が最新だ。
その時のタイトルは、『ミドルに広がる「タモリになりたい症候群」の罠』だった。
タモリ的な生き方に憧れている人は結構多いと思う。とはいっても、毎日昼に1時間の仕事を何十年もやりたいわけではない。むしろ、あの番組が終わってから、あるいはそれ以前からの知的でシニカルな目線を持ちつつも、自由に生きていたいというイメージだろうか。
ずっと続けている「タモリ倶楽部」もそうだが、最近だと「ブラタモリ」だろう。40代半ばを過ぎて、ビジネス生活の先が見えてくると「我先に」とばかり、店仕舞いの支度をする。
結構有能な人に限って、逃げ足も速いから会社としてはこの辺りの匙加減も難しい。
この話をすると、結構30代の男性も「実は……」と言い始める。実は「タモリになりたい」というのは、ミドルだけに限らないらしい。
大学生にはそうそういないかもしれないが、卒業して10年ほど経って、先達の生きざまを見ていれば、ある意味必然的なのかもしれないが。
このコラムでも書いたのだが、「高田純次とかいいっすよね」という男もいる。まあ、これもわかる。適当にやっていながら、嫌われることなく、何となくことが進んでいく。
もちろん、タモリにしても高田純次にしても相当の気配りと計算が合って今のポジションが成り立っていることはみんな承知している。
ただ、イメージとしては何となくわかるのではないだろうか。
そしたら、「だったら、蛭子能収だろ」という話も出てきた。もう、ここまで来ると相当達人、というより仙人の域に近い。とはいえ、主演映画も公開されるようで、ちゃんと仕事はしているのだ。
で、この3人の共通点だが、みんな、よく歩いてる。「ブラタモリ」はもちろん、高田純次は「じゅん散歩」、蛭子さんは例の路線バスだ。
もしかすると、日本人にとってリタイア後の理想とは「散歩のある暮らし」「ふらりと歩き回る毎日」なのかもしれない。
なんか、それはいいかもしれない。「南国の島でゆっくり」というような、西洋的な感覚とはもちろん違う。
四季の移ろいに敏く、理屈を言うよりも、ちょっと斜めから世を眺める。しかし、決して厭世的ではない。
それは、枕草子や徒然草のような世界のでもあり、どこか日本らしいなぁとも思うんだけど。
「キャリアのY字路」はこちらからどうぞ。