舛添都知事が辞めるそうな。
駒崎広樹氏が、『舛添さんを「セコいこと」で責めないで』というブログを書かれていたけれど、本質を突いていると思う。都政の問題は、もっと別のところにあるだろう。
それにしても、今回思ったのは、「じゃあ、誰がセコい知事を攻撃したのか?」ということだ。
まあ、単純に言うと、それは「もっとセコい人」だと思ってる。それは主に高齢者だろう。メディアやリアルでいろいろと観察していると、そう感じる。
都庁には3万もの抗議があったというが、僕の周辺では「それより、ちゃんと仕事しろ」という人が多かった。よく考えてみると、現役でビジネスに関わっている人はそう考える。よほど暇じゃなきゃ、都庁に電話しないし、「仕事してる人に迷惑だ」と思うでしょ。
まあ、平日のワイドショーとか見てるのも、リタイアした暇な人が多い。この手の世論なんてその程度だ。そして、マスコミはヒマな高齢者に迎合して、くだらない質問をする。もっとも、その答えも相当に酷いようだが。
そして都議が聞く「世論」も年寄り中心なわけで、あっという間に知事を追い込んでしまった。
でも、こうやって舛添氏を攻撃する人って、まったく後先のこと考えていないところがある。4年後の都知事選がオリンピック前になるのは、たしかに問題だ。そういう意味で、9月辞職という段取りは、合理的だと思うがそういう合意もできない。
それどころが、「じゃあ、五輪なんかそもそも返上しろ」とかいう声もある。でも、それってかつての東京五輪を知っている人が、よく言うんだよね。
小さいの子供を持つ親とか、結構4年後を楽しみにしている。高校生くらいなら、語学習って、何か役に立ちたいと思っている人もたくさんいる。「もう五輪いらないよ」っていうのは、「既に持っている人の論理」だ。
このあたり、保育園に反対するのが高齢者ばかりなのとよく似ている。
最近の高齢者がつくづく「セコい」と思うのは、自分たちがすっかり逃げ切りながら、半端な正論を振りかざすことだ。
居酒屋で早くから飲んでる年金生活者が「舛添やめろ、五輪いらない」と言ってるような姿を耳にして、ゾッとした覚えがある。この調子だと、都政が年寄りのおもちゃにされるんじゃないだろうか。
現役世代と、育児・教育に政策の焦点を合わせる。次の都知事の優先順位はそこなんじゃないか。高齢化が進むとはいえ、東京はまだ平均年齢はまだ若い方だ。投票行動次第では、シルバー民主主義に一矢報いるいい機会だと思う。