インターネットに関わる人は、新しいテーマを捕まえていくことには熱心だが、後ろを振り返ったり歴史を論じることはあまりないように感じる。そもそも、歴史自体が浅いということもあるが、「昔話」自体がどこかタブーとされる空気感もあるのだろうか。
一般化されてもう20年を過ぎたし、その流れを1人のユーザーとして見ていると、大きなうねりがあるんだなと思う。
最近気になるのが、ネットで花開いた(かのように見えた)「テキスト」文化がどうなるのか?ということだ。テキスト、つまり文章を綴り、それを味わうということはネットの黎明期にはもっとも当たり前のことだった。
というより、技術的な制約があって、テキストくらいしか楽しみようがなかった。通信速度は遅く、コストは高い。「テレホーダイ」とかいう不便なサービスが通用していたのだ。
そして、みんなが文章を書くようになった。これは、結構画期的なことだったと思う。
というのも、僕が若い頃、というかその前からずっと「最近の人は文を書かない」と言われてきたのだ。「なんでも電話で済ます」というわけで、私的に手紙などをやり取りするのはとうの昔に「趣味人」の領域になっていた。
まずはメールが広まった。最初は社内連絡が中心だったが、やがて携帯メールも普及する。掲示板は賑わって、さまざまなコピペも生まれる。いわゆる「テキスト系サイト」も増えた。
やがてソーシャルメディアの広がりで、発信は容易になり、ミクシィに日記を書いて、ブログを綴る。紀貫之や清少納言などを持ち出し「日本人は日記好き」という話もあったように思う。
今年になってから、ネット動画は本格する一方で、フェイスブックは高齢化して若年層はインスタグラムに流れているという調査もよく見るようになった。SNSの栄枯盛衰はいろいろあるだろうが、「テキスト文化の衰退」と捉えることもできるように思う。
最近『10代の若者はニコニコ動画を「ださいから観ない」?』みたいなまとめがあったけど、あれもたしかにテキスト文化が色濃く出ている。
考えてみれば、あの携帯電話の仕様で「ケータイ小説」とかが盛り上がっていたこともあった。いま調べると2002年頃から3年ほどがブームだったようだ。あの画面でもみんな懸命にテキストを読んでいたのだ。
では、このままテキスト文化がどんどんダメになるのか?僕は、そうは思ってない。初期のネット文化を支えて、ケータイ小説などを盛り上げた世代は30代から40代にかかろうとしている。
一方で、メディア接触時間の調査を見ると、ネットについては10代から20代にかけてピークを迎えて、30~40代では減少する。この傾向はずっと変わらない。いろいろと忙しくなってくるから当然なのだ。
つまり、常に接触時間の長い若年層に焦点を合わせれば「脱テキスト」は正解だろう。ただし、消費者としてみた場合はどうか。
一方で、「時間はないけどじっくり考えたい」30代から40代のニーズに応えるコンテンツのニーズは十分にあるのではないか。ビジネスや育児などについて考えたい層で、一定の可処分所得のある人々、たとえば都市部の共働きファミリー層(いわゆるDEWKS)の求める情報は、質の高いテキスト中心になると思う。
ビジュアル中心で直感的に付き合えるコンテンツばかりに目が奪われがちだが、逆張りも十分機会があるのではないか。そう考えると、出版社などにも大きな機会があると思っている。