孤高だが孤独でない。幸福なポリーニの夜
(2016年4月17日)

カテゴリ:見聞きした

polマウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル

2016年4月16日 19:00 サントリーホール

シェーンベルク:6つのピアノの小品 op.19

シューマン:アレグロ ロ短調 op.8/幻想曲 ハ長調 op.17

ショパン :舟歌 嬰ヘ長調 op.60/2つのノクターン op.55/子守歌 op.57 /ポロネ

ーズ第6番 変イ長調 op.53 「英雄」

【以下アンコール】

ショパン:エチュード op.10-12 「革命」/スケルツォ 第3番嬰ハ短調 op.39/ノクタ

-ン 変ニ長調 op.27-2

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会場に着くと案内が配られており、曲目の変更があるという。川崎でシューマンをキャンセルしてドビュッシーにしたというので一瞬ドキリとしたが、ブーレーズの追悼としてシェーンベルクを演奏するということだった。

19時を過ぎる。ポリーニはなかなか出て来なかったりすることもあり緊張が高まるが、5分ほどで登場してシェーンベルクから。

一貫した印象だけれど、ピアノの音が柔和に感じられる。調律を含めた音作りの志向かもしれないが、「彫像のような」と評されたイメージとは異なる。もっともそうした言葉の選び方自体、批評としては安易だったのだろうと今になっては思う。

もっとも楽しみにしていたシューマンだったが、川崎での変更もややわかる気がした。どこか緊張が残っていて、硬い。これだけのキャリアでも、そうした緊張感が持続していることも驚異だが、2楽章までは聴きながらもどこかしっくりこない感じもあった。

ところがフィナーレになって、紡ぎだされた響きの美しさは優しく濃やかだった。行ったこともないのに「天国的」という表現をする人がいるけれど、その気持ちもわからなくはない。

休憩でロビーに出ると、若い女性客同士が「疲れたぁ」と話していた。たしかにポリーニのリサイタルは客も緊張するところがある。

ショパンの一曲目の舟歌に入ると、打って変ってリラックスした感じが伝わってきて、心を響きにゆだねる。夜想曲から、子守唄を経ていったん袖に消えて、最後のポロネーズを迎えた。

煌びやかな、というよりは柔らかで一音を大切に響かせていくような演奏で、聴いた時には、ポリーニの今までを思い起こしながら感慨に浸った人も多かったのではないだろうか。

ところがこの後に、想像できないプレゼントが待っていた。

アンコールの一曲目は「革命」。まずは、ショパンの静かな曲を弾くのか、あるいはドビュッシーかなと思っていたので、相当驚いた。

のちに妻が「もしニコ動だったら“革命来た~!!”とか並ぶんじゃないか」と言っていたが、そんな客席の雰囲気だった。ただ、後にしても思うと、この夜のポリーニはこれでようやく点火したように思う。

というのも、その後のスケルツォが本当に驚くような演奏だった。それまで気になっていた、分厚い和音のバラつきがなくビシッと決まる。最後のパッセージも流麗だし、トリオのアルペジオを聴くと「天国のその上があるのか」とさえ感じる。

続くノクターンは、何かを書くと野暮になるだろう。ずっと、この時間が続いてほしいと客席は願ったはずだ。

振り返ってみると、2時間余りの回顧の後にあのスケルツォがあったのだろう。

いい時間だった。孤高と孤独は、異なるものなんだなと感じる。

ポリーニは74歳になった。ポール・マッカートニーと同じ年の生まれだ。コンサートの感想を書くのに齢に言及することは敢えてしなかったが、いろいろと感じるものはある。

ただし、それは幸福な感覚だ。この辺りのことについては、また後日に記したい。