村上隆の興行と工業~ヒルズの「五百羅漢展」
(2016年2月11日)

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IMG_1369六本木ヒルズが2003年にオープンした時のキャラクターは、村上隆が作っていた。そんな縁もある施設の美術館で久々の個展だ。14年前の木場の個展には足を運んでいた記憶がある。

エントランスに着いたら、音声ガイドの貸し出し案内にディスプレイに男性の顔が映っている。村上隆がいつの間にこんないい男になったのかと、近づいてみたら斎藤工だった。彼がナレーターを務めているらしい。

入り口には「撮影して、シェア!」という看板がある。撮影OK、拡散上等というわけで、メディア戦略にも抜かりはない。本人を模したオブジェもお出迎えだ。

ミュージアムショップはフィギュアもお菓子も盛りだくさんで、キャラクターのお花クッションは7,000円から17,000円くらいまでという結構な値段だったが、それでも「お一人様5個まで」という制限付き。へえ~と思ったけど「他者への販売を目的としたご購入はご遠慮ください」という注意書きが、英語と中国語でも書かれている。

ああ、そういことになっているのだろうけど、興行としての展覧会としては一つの到達点かもしれない。

一方で、展覧会の目玉の五百羅漢の制作過程の記録も興味深い。全国の美大学生から志望者を募って、24時間シフトで制作体制を組んだという。最終的には200人以上がかかわったようだが、全幅100メートルという大作だけに、それでもギリギリだったのだろう。

スタッフへの指示の手書きも残っている。「指示書どうりにヤレ!ボケ!」とか「ひでーな低レベル」という書き込みの上に「村上様ご指示」というラベルがあって、この辺りを見ているとついつい佇んでしまうのだが、これも工業的な視点で見れば美術界で他に類を見ないだろう。

そういえば、村上隆を見ているとマーラーの音楽を連想することがある。マーラーが歌曲のモチーフをもとに交響曲を作ったように、村上のキャラクターもあちらこちらに顔を出す。ともにカリカチュアやデフォルメがあって、強烈な色彩感や、時にグロテスクな印象を感じる。今回の五百羅漢は、「千人の交響曲」のようなものだんだろうか。ちなみに、野暮を承知で書くと奈良美智はブルックナーを連想することがあるのだが。

というわけで、作品の感想を書いていないのは理由があって、今回の五百羅漢を初めとする作品群がどうも腑に落ちていない。何でだろうか?と思った時に島根の羅漢寺を訪ねた時のことを思い出した。あの空間には祈りが満ちていた。

六本木ヒルズの会場には、怒りや悲しみ、あるいは諦念のようなものは伝わっても祈りの空気はない。そして、畏れもない。無数のシャッター音が響いていることだけが理由ではないが、静寂を放棄した会場でいったい何を感じればよかったのか。素直にシェアすれば、こんなことを考えなくもよかったのかもしれないけど。

それでも、疑問は残る。華々しい髑髏の上に、「草木国土悉皆成仏」と書けば、それに何らかの意味性はあるのだろうか。いま一番知りたいのは、この一連の作品についての僧侶の方々の感想である。