小沢正光さんが逝去された。博報堂の、というより80年代以降を代表する広告クリエイターであり、戦略家だった。
僕も仕事上で接点があり、その時間は制作現場で苦楽を共にした方に比べれば長くはないものの、強い影響を受けたこともあり、感謝の意を表すためにも、少しばかりその記憶を記しておきたい。
2000年を前にした頃、僕は博報堂の研究開発セクションにいた。広告効果を最大化するためのリサーチやブランディングのシステム開発をしていたのだが、小沢さんがそうした動きに関心を示されてきた。
質の高い表現をきわめつつも、ビジネスとしての広告のあり方をずっと追求されていて、その姿勢はずっと変わらなかったと思う。
そこで、とあるクライアントにプレゼンテーションをすることになった。「効果的なCM」について、認知心理学などの知見を総動員して話をしたのだった。幸いにして終了直後に好評だったのだが、「こいつはねぇ」と小沢さんが僕のことを持ち上げてくれる。
今にして思うと、自社組織の訴求をしながら、社員のモチベーションを上げる技だったのだと思うが、当時は30代だったのでただ単に嬉しかった。
その後、若手スタッフの育成に乗り出されるようになり、また声を掛けられることになった。ことに新入社員への思い入れと期待は強かった。とにかく「未来は次代なんだ」という信念が強かった。
「もう、俺の時代じゃないんだ。もちろんお前なんかもな」
独特の表現だったが、「常に危機感を持っていろ」というメッセージだった。新人には温かかったけれど、半端に「できたつもり」になっていた人には厳しかった。
まだ黎明期のインターネットにも強い関心を持っていた。ネットを「第5のメディア」と紹介した社内資料を関心を示しつつも、首を捻っている。「第5どころじゃないだろ」ということだったのだが、まさにその通りになった。
僕はその後に希望して人材開発セクションに転じたのだが、そのきっかけになったのが小沢さんとの出会いだった。新人研修のプランニングをする時も、まず相談に行った。講義などを頼めば、最優先で時間を作って密度の濃い話をしてくれた。
多くの後輩にいい時間を提供できたとすれば、それは小沢さんのおかげだった。
単に話すだけではない。同じ空間にいるだけで、熱量が変化していくという、物理法則に外れたことを実感してしまうような時間だった。
僕が会社を辞めた後も、書いたブログの記事に関心を示されて、呼ばれたこともあったし、僕は、次の著書を書く前に直接話を伺いたいことがあったのだが、昨年来なかなか機会をとれずに、心配していた中での訃報だった。
本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。
2016年立春を前に
薄日の差す東京にて