広告業界の方ならばよくご覧になっている「業界人間ベム」が、、広告会社の行く末を案じている。ここで、取り上げている問題を一言でいえば「営業がトーシロ(素人)になってしまった」ということだ。
ただし、これは広告業界だけの問題でもない。僕が観察している範囲でいうと、サービス業を中心にして広く見られる状態だ。
簡単に言うと、「営業とは何?」ということが定義できてない。業務もスキルも、きちんと記述できない状態で、ただ毎日の仕事に忙殺されているのだ。
「営業」という仕事には、2つの側面があると思う。1つは「販売」つまりセールスだ。いわゆるセールスマンの仕事で、クルマや保険などが典型だろうか。この場合、実績は売上だけで評価される。年間100台のクルマを売る営業は、50台売る人よりも2倍の価値があるということだ。(報酬が倍にはならないが)。
そして、もう1つの側面が「顧客管理」で、アカウント・マネジメントということになる。広告会社の営業が「アカウント・エグゼクティブ」を名乗ったのは、単なるセールスではないという意味だろう。
顧客のニーズをつかみ、複数のサービスを最適にパッケージすることがその使命である。ただし、広告業界の主力商品は長らく変化がなかった。マスメディア市場の成長は、経済成長と連動し、その低迷もまた同様だ。しかし、メディアの選択肢は爆発的に増加した。その結果「最適パッケージ」を考案するスキルが追い付かない。とりあえず旬の素材を寄せ集めた、できの悪い幕の内弁当があふれることになる。このあたり、百貨店の衰退とも似ているよう思える。
さて、新しいスキルを獲得できない営業はどうなるか?
簡単にいえば、かつての経験と人脈の保持に勤しむ。大体30代半ばで、そうした行動に変化が起きるようで、簡単に言えば「顔」で働く。能力のなさを、存在感でカバーするために、無用のレポートや会議をつくりだし、当然のように部下からは疎んじられる。
その在り様をみて「近頃の若者は」と嘆くようになれば、「ダメな中年」が見事に完成する。衰退する業界の営業だと、30過ぎでもこの状況になるのだから恐ろしい。結局は、「顧客管理」の定義ができないのだ。
では、なぜできないのか?「真に利益を生み出す営業の仕事」を定義して課すと、もっとも不要になるのは営業担当役員あるいは経営陣だからだと思う。彼らの存在意義は「顔の広さと大きさ」だ。
しかし、新しい価値は生み出せない。したがって、ひたすら交際に勤しみ、それでも体調を崩さなかった者が偶然的に昇進することになる。多くの会社で「営業のボス」は、元気だけはいい。それは、必然なのだ。
僕は若い人に、むやみに転職や起業を煽ったりはしない。ただし、自分の会社を眺めて、このようなことに思い当たりのある営業セクションの方は、将来への備えをされることを勧めたい。