「させていただきます」という言葉は、結構前からあるようだけど少し前の「国語に関する世論調査」でも取り上げられて、NHKの番組でも敬語講師という方が解説してる。
まあいろいろ見ても肯定的な論調は少ないんだけど、ここ5年くらいで「変じゃないの?という話が増えている。
僕も、基本的には推奨しない。「プレゼンテーションを始めます」で何の問題もないと思うのだ。
ところが、この言葉については遥か昔にとある方がバッサリと斬っている。詩人の大岡信が新潮社の「最新日本語読本」というムックのインタビューでこんな風に話しているのだ。
『慇懃無礼。相手との接触に間を置こう、トラブルを避けようというおよび腰の姿勢が感じられます。』また「したいと思います」についても、次のように言う。
『さらに「思います」を加えるのは、決断を避けているわけで、他人に立ち入られたくない、ナメられたくない、責任をとりたくない心理がそこに働いている』
つまり「させていただきたいと思います」は最悪ということになる。
このインタビューは1992年、つまりほぼ四半世紀前のものだ。言葉に敏感な人は、その頃から気にしていたのだなと思う。
つまり「最近の風潮」というよりも、根の深い話なのだ。
と思っていたら、最近驚いたことがあった。実はこの表現に司馬遼太郎が言及していたのだ。『街道を歩く・24』の「近江の人」という節に、この表現についての言及がある。
それによると、『この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入り込んで、標準語を混乱(?)させている。』と書かれているが、その語法は浄土真宗の教義上から出たものだというのだ。『真宗においては、すべて阿弥陀如来――他力――によって生かしていただいている』ので、こういう表現があるという。
この初出は1984年の連載だから、さらに古い。さすがの大岡信も気づかなかったのだろうか。
ただ、僕がこのことを知ったのは大森洋平氏の『考証要集』という本を読んでたからだ。NHKのシニアディレクターが書かれたこの本は、あいうえお順にキーワードが整理されている。たとえば「~的」という項を見ると、こうした言い方(徹底的とか)は明治以降の言葉なので時代劇では用いない、ということがわかる。とても面白い本だが、これはNHK職員向け資料を基にして編集刊行されたのだ。
そして、この本の「させて頂く」の項には、先の司馬遼太郎の引用がある。
じゃあ?と改めて思う。冒頭のNHKのサイトに書かれている敬語の話に、なぜこのことへの言及がないんだろうか。少なくても、もとの意味合いには悪いニュアンスはない。濫用がよくないというのなら、本来の意味に言及してもいいのではないか。
というか、NHKの番組なのに、なんで社内資料にあたっていないんだよ、と思ったら、また似たようなのが出てきた。
この本の「どまんなか」の解説には「本来関西弁(河内弁)」と書かれている。これは、前にブログで指摘したのだが、2014年10月のNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年」で、よりによって松平定知アナが2度にわたって「どまんなか」と言っているのだ。東京の街のドキュメントで「銀座のどまんなか」はないだろう。
きっと、ドラマ担当の人はこういうことに敏感なのだろうが、その辺りが縦割りになっているのだろう。というわけで「させていただきます」問題を探っているうちに、「NHK、ちゃんと社内資料読んでよ」という話になってしまうのだった。