年末に羽生結弦が、野村萬斎と対談した番組を見た。狂言の極意を聞かされて相当いい刺激だったのか、途中で「うわぁ、すごい所に来てるな」と地が出たような表情になったのだが、その辺りはファンにとっては相当魅力なのだろう。
こうした感情表現は、当然話題になりやすい。
男子フィギュアの選手同士は仲良さそうに見えるが、実際にそうかはともかくとしても、そういう文脈で、ニュースになっている。野球でも、昨年末スワローズの山田哲人の契約更改に青木宣親がサプライズで現れた時も面白かったが、ジャンルを問わずネタは多い。
男性同士の集団では、この「仲がいい」と見えることが、メディア上では重要になってしばらく経つ。
芸能界では、嵐が筆頭だろう。ファンは、彼らの関係性を消費する。これも事実どうなのかではなく、「仲がいいだろう(でも実は微妙かも…)」という脳内妄想を補完してくれることが大切なのだ。他のグループでもそういう流れになっている。
この「仲良し男子」という文脈は、女性が作って来たのだろう。「キャプテン翼」の薄い本が生まれて相当の年月が経つ。その間に、現実の方が追い越していったような感じもあるけど、内田篤人などはその代表だろう。
人間どころか馬が主人公の「馬なり1ハロン劇場」の作者も女性だが、もう四半世紀以上続いている。
一方で、女子はどうか。芸能界でもスポーツ界でも「戦う女子」が受けるように思う。代表はAKBだろう。宝塚などはそうした系譜のルーツだろうが、こちらも100周年以降チケット入手難が続いている。もちろん仲がいいのかもしれないが、そういう文脈だけではあまり受けない。
スポーツでも、女子サッカーやフィギュアでは、あまりそういう見え方にはならないのだ。彼女たちは戦っている。
仲良し男子と戦う女子。それは、「そういう姿を見たい」という受け手の願望によって、さらに再生産されていく。そして、そうしたエネルギーは主に女性によって発せられているのだろう。
いろいろと複雑に妄想する女性と違って、男性は単純だ。サッカーを見れば、ボールの行方に一喜一憂してゴールが決まれば雄たけびをあげるが、その間に女性は「誰と誰が喜びあっている」とかしっかり見ている。
男が例の「総選挙」で、自分が一票を投じた成果にやきもきしている間に、女は彼女たちの目線を冷静に観察している。
ネットができて、自分だけの妄想をお互いに補完できるようになった。男子には仲良くさせて、女子には戦ってもらう。アタマのいい送り手は、きちんとそのことをわかっているのだから、この流れはしばらく続くと思っている。